初レッスンの想い出

三木基司

昔過ぎて初レッスンは覚えていません。50数年前、わたしの父は兵庫県竜野市まで行って馬に乗っていました。今はもう存在しませんが伝説の乗馬クラブ「山陽乗馬センター」です。代表は北海道出身の加藤辰吉さん。装蹄をこなし、種付け、出産と馬に関するあらゆることをこなす伝説の馬乗りでした。
わたしは加藤さんが障害を飛んでるのを見たことはありませんでしたが、小さなポニーに踏歩変換を調教したり馬術的な調教をしているのは見たことがあります。自分の事を恥ずかしげもなく「日本一の馬術家」と言っていました。わたしが1977年、青森国体会場でしごかれた時は、「日本一の馬術家がお前に馬術を教えてやる。」と言っていましたから…。見てくれは、いかにも田舎のおじいさんぽくて…かっこよくなかったのですが、当時33歳、日本のトップライダー杉谷昌保さんとは、とても仲良しだったので、ちょっぴり意外でした。
当時、兵庫県内の乗馬クラブは神戸RC、阪神乗馬センター、山陽乗馬センターの3つだけであとは関学、甲南、神大の馬術部位だったような気がします。
山陽乗馬センターは砂がフカフカのクッションの良い馬場が自慢でしたが、オーナーの加藤さんは雨が降った後の馬場で馬に乗ると馬場が痛むので馬場を使いませんでした。近くの野山への外乗を推奨していたので、私も父に連れられよく外乗へ行きました。今となっては懐かしい。

溝口豊

初めてレッスンをした時の事は、あまり覚えていません。
おそらく、明石乗馬協会でスタートレッスンを担当したと思います。
当時は、丸馬場の内側にコーンとバーがありその外側を回っていました。
スタートクラス6人定員なる前は、4人定員のクラスで丸馬場ではなく小角馬場でした。
4人定員のクラスを2個合わせて丸馬場として、8人定員の時がありましたが、馬もいないいう事で、
今の6人定員のクラスになりました。

本宮範子

大学から馬をはじめました。
1回生2回生の間は部班または個別に見てもらうだけだったのですが、3回生になり、下級生の部班を見たのが初めてでした。
下級生といっても馬歴が10年以上のセレクションばかりなので、とんでもなく形だけ号令をかけるというものでした。
半泣きの私に、馬上から2回生がこっそり「あれ言って、これ言って」
と逆にアドバイスをくれたり、それ以降は事前に内容を皆で相談して決めてくれたりしました(笑)
レッスンとは言えないものですが、上級生からも下級生からも守ってもらっていた、というあたたかいお話でした(笑)

岩島清志

30年前のことなので、昔過ぎて忘れました。声が通る方では無いので大きな声を出すことを意識していたと思います。
しゃべるのは得意では無かったのですが、今ではマシンガントークと呼ばれるようになりました。

菊澤大助

はじめて他人に乗馬指導をしたのは今から約40年前の事です。
観光牧場で気に入られてお手伝いをさせていただいていたのですが、だんだんこなす内容が上がっていき夏休みの最後には簡単な乗馬指導をさせてもらっていました。
馬に乗っている人への乗馬指導なのですが、明るく大きな声で解りやすい乗馬指導を心掛けることで、フェンス越しに見ていた観光客が「やってみたい」と申し込んでくれるというループを作ることを意識しながらやっていました。
今でも乗馬協会で同じような手法をすることがあります。

三木翔一朗

初めてのレッスンは覚えていません…
初めは月、水、金、土、日の出勤で今よりもレッスンを担当していました。
当然慣れていないかったので頭の中が必死でバタバタ。
今でこそ、イレギュラーなことがあっても出来るだけ冷静に対応できますが…
とにかく必死だったことだけ覚えています。

小出謙介

初めて人をレッスンさせてもらったのはかれこれ30年以上前になります。その時の馬は「徳丸」という葦毛の馬でお客様は「徳永様」という女性でした。場所はもうありませんが「沼津乗馬倶楽部」
で私は当時15歳、乗馬クラブで勤め始めて半年くらいでした。当時の師匠である福田忠治さんに「謙介、会員様のレッスンしてみるか?」と言われ「僕に出来ますか?」と言ったら「みんなやる時は初めてなんだからビビらずやってみろ」と言われたことを昨日の事のように思い出します。その後も福田さんのアドバイスを受けながら今日に至ります。
今までレッスンさせて頂いた多くの人達、そして頑張ってくれた馬達に日々感謝しています。

中尾 麻美

初レッスンについて詳細には覚えていませんが、いざレッスンをしようとしても何を話していいのかわからず沈黙が続いた、という記憶があります。
先輩スタッフに見守られているというプレッシャーもありますます話せない…焦る!!の悪循環。
レッスン見学で他のスタッフが話していたことを丸々そのままパクるという方法で乗り切っていました。
最近、新人スタッフ酒井さんのレッスンで、同じように困っているのを見て懐かしく思いました(笑)

清水綾菜

教職免許を取る時の実習でどこかの学校で授業したのが初めてです。
中学生たちの目線が見習の先生扱いをしてくれて優しかったのを覚えています。

宮内隆佑

初めてレッスンをしたのは三木ホーストレックに勤めていた時でした。
ロープを付けてビギナーの方のレッスンをしています。
それまでは外乗の先導をしたりする事がメインでしたがお客様と触れ合う機会がその分たくさんあったので緊張する事はなくスムーズに進めることができていたと思います。恐らくですが。
緊張して記憶に残っている事としては初めて外乗の経験者コースの先導をした時の方が緊張していて記憶に残っています。
ずっと気を張り詰めて先導していた思い出があります。

村岡七海

3年前に淡路でレッスンをした時が最初かもしれません。
明石乗馬協会でもそうだったかもしれませんが、最初のころは安全のためのエアバッグベストの紐をつけ忘れることが多々で、レッスンをするときに何をしゃべっていいかというのが、間が空きすぎてダメダメだったなという事が多くあります。
今でもまだまだ語彙力や知識不足なところがあり、まだまだダメダメなところだらけですが、精一杯精進していけたらと思います。

酒井楓海

私の初レッスンはつい最近のことです。
中尾さんについてもらって、私がやってみるという感じで行いました。色々なレッスンを見学させていただいて、レッスン形式等をおしえてもらって実践という形式でしたが、イメージトレーニングではうまくいっていたんです。
しかし実際にやってみると緊張でうまく声が出ない、、、呂律がまわらない、、、で散々でした笑
ARAのベテランインストラクター方もこのような経験をしてきたのかなーと思い、私も読むのを楽しみにしています。
これからもっと学んで立派なインストラクターになれるよう、精進していきますので皆様のレッスンに少しお邪魔させてください!
よろしくお願いします!

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