印象に残ったバイト
三木基司
印象に残っているバイトは、百貨店の物流倉庫での仕分け、搬入作業です。
1978年7月、今はもうない三ノ宮そごうで中元受付の募集があったので、応募しました。時給が良かったこととエアコンの効いた百貨店で夏を過ごせる快適さに飛びつきました。
面接が終わり、関連店舗へ配属されようとした矢先、そごう人事課長からストップがかかりました。じろじろと私を観察し…「君なぁ、髭はあかんで。」こぎれいな服装で行ったつもりでしたが、当時 鼻の下に髭をはやしていました。
このこわもての女性人事課長は、9割がた店頭配属に決まりかけていた私を鶴の一声でそごうから100m位離れたそごう物流倉庫に変更してしまいました。
倉庫ではエアコンもなく暑い中でバイトスタッフが働いていました。ランニングシャツ姿で、いかにも肉体労働者。みんな怖そうでいかつい人に見えましたが、話してみると私と同じ普通の大学生でした。
2週間程の期間でしたが、暑い環境で肉体的にきつい仕事でした。今となっては貴重な体験、想い出です。
溝口豊
アルバイトで、コンビニのバイトに入っていました。
夕方~深夜と深夜~早朝で、短期間でしたが楽しかったです。
地元たったので、知っている人とも良く会いました。
深夜はあまり人が来なかったので、暇だったように思います。
発注業務では、予想が外れると商品が売れ残るのであまり大胆な発注はしないようにと言われていました。
地域イベントがある時は、お弁当やおにぎりが良く売れました。ただ天気が悪くなると最悪で、売れません。
本宮範子
一番印象強く残っているのは、高校生の頃初めてアルバイトをさせていただいたマクドナルドです。
今思うと、一番最初に良い経験をさせてもらったなと思います。
岩島清志
印象に残っているのはプール監視員ですね。
会社の保養所もプールなので、平日は基本誰も来ません。来ても社員の家族が数人程度で、いない時は泳いだりしていても自由で昼飯付です。しかも3交代制なので楽しかったです。
夜の仕事では雀荘のバイトですが、大学時代麻雀に明け暮れていたので、その流れです。麻雀牌を磨きは早いですよ。
菊澤大助
うーんいろいろアルバイトはやってきましたからね~。
ただ、私の中では牧場、農場で働いたものは「実習」というカテゴリーに分類されるのでバイトとは違う思いです。
学生時代のアルバイトはちょっとお話しにくいものも多いのでさらに選定が難しいですね。
守秘義務もありますし。(笑)
というわけでやはりここは私が上京して初めて取り組んだ「花の流通調査」のために、新宿駅のミロードでやっていたお花屋さんのアルバイトという事になりそうですね。
ある日のバイトの帰りに駅で電車を待っているといやに周囲の人から暖かい視線をかんじることがあって、こんな性格だからわけもわからず微笑まれたらにこっと返していました。
それにしても異常に周囲の、いや、駅のホーム中の人々が私に微笑み、祝福?応援?
を無言で送る…。
向かいのホームに入ってきた電車の窓に映った自分の姿を見て初めてその理由がわかりました。
実はその日、バイト先で売れ残った大量のバラの花を「大学の研究室や下宿に飾りたいのでもったいないから捨てるなら下さい」と腕いっぱいに抱えていたのです。
時は35年前、加藤登紀子さんの100万本のバラ、の歌やバブル期のトレンディードラマの影響で、おそらく、いや、間違いなく駅にいるすべての人が私のことを「大量のバラの花束を抱えて一世一代の勝負にでる若者」(19歳でした)と思ったのでしょう。
このバラが消費期限前なので、見事に花開く直前の絶頂で、色もまあバラバラなのだけど「ああっ、こいつ店のバラを買い占めやがったな」という感じ。
服装もたいした洋服をきていないので「田舎者がむりしよったな」感丸出し!
プロポーズにはちょっと?若すぎるので「思い切り恋にとちくるってやがるぜ」感もスパイスとして効いていて、
ごめんなさい、私ぱっと見は「素直な純粋ちゃん」に見えるので「悪い女に騙されてるのかも」的なハラハラ要素が少し。
(当時のは若い男性はあっしー、めっしーと呼ばれ非常に虐げられていました)
それに気づいた私が柄にもなくちょっと恥ずかしそうにしてしまうので、東京新宿駅小田急線のホームは私が経堂行きの準急に乗り込むまでさらに輪をかけて「こいつはもう、絶対間違いない」的な暖かい雰囲気に包まれたのでした。
三木翔一朗
バイトは阪神競馬場でのバイトです。
関学馬術部は部活の活動費を部員で稼がないとだめだったので、その一つに競馬バイトがありました。
放馬止め、救急車、馬運車、検体などのポジションで働かせていただきました。
もちろん、有名な騎手や名馬をとても間近でも見れたりもしました。
競馬は全く知りませんでしたが、競馬場でバイトしたことは面白い体験でしたね。
小出謙介
印象に残っているアルバイトは「お茶工場のバイト」です。静岡に住んでいたころ知り合いに紹介されて、お茶工場で期間限定のアルバイトをしました。24時間を3交代制で、時給は1,500円~2,000円!
しかも内容は宿直室に泊まって、2時間おきに機会の様子を見て床を掃くだけ!!(笑)
他の時間はテレビを見てても雑誌を読んでも寝ててもOK!!しかも食事つき!!!結局私は、2週間で20万以上稼ぎました(笑)
またやってみたいなぁ…。
中尾 麻美
明石乗馬協会でバイトをしていた時代、夜に「検体回収」のバイトもしていました。
病院で採取された血液や皮膚、その他様々な検体を回収し、分析機関へ運ぶという仕事です。
ただ回収するだけならラクなのですが、その場(基本的には外が多い)で数や内容を確認しなければならず、夜暗い中しゃがみ込んで血液等を数えている姿は不審者以外の何者でもなかったと思います。
結局梅雨の時期が大変だったのと、暑い夏でもスーツで回らないといけないのがイヤで辞めてしまったのですが、夜にラジオをかけながら1人知らない街をあちこち走り回ったのはなかなか良い経験でした。
清水綾菜
今まで色んな仕事をやってきた方だと思いますが、今の馬の仕事が1番珍しがられます。
どんな事やるの?とかどうやって乗るの?とか他の仕事よりもすごい聞かれます。そして馬関係以外の場所で同業者に未だ出会ったことがありません。
長谷川千紘
今までで1番印象に残っているバイトは、コンビニのバイトです!コンビニ以外にも飲食店や警備、色々なバイトを経験しましたがコンビニのバイトがいちばん長く続けたので印象に残っています。
宮内隆佑
一番長く続き楽しかったのは「居酒屋」です。
私が働いたお店は小さなお店だったので常連さんが多くミスばかりしていても可愛がってもらいました。
出勤時間が終わっても店に残っていたりしたので今思えばお店側に迷惑をかけたり警察のお世話になる事がなくて良かったと思います。
内藤久美子
様々な業種に携わったのですが、一番印象に残っているのは実地棚卸の仕事です。
毎日異なる現場に行って商品を数えるのですが、数える場所によっては6~7mの脚立の最上段に登って機械に打ち込みをしたりと、新鮮で楽しくもありました。
この経験によって、電卓が非常に得意になりました(笑)
大里あかり
高校生の時にしていたアルバイトは、杵屋といううどん屋で接客を1年半続けました。
初アルバイトでしたがとてもいいところでした。まかないもあったため休憩はほとんど食べていましたし、何より店長がいい人!! 周りの人も面白い人ばかりでかなり人数いましたが嫌いな人や苦手な人がいなかったですね。
この近くだと、大久保イオンに「杵屋」があるのでぜひ行ってみてください。おいしいですよ。