人生の転機
三木基司
人生の転機はいくつかあります。本当はもっとあるのかもしれません。毎日、何気なく意思決定をして…それが結果、人生の転機になったという事は誰しもあるものだと思います。
① 4歳の時に自転車にはねられ、右足を骨折…ギブス生活を余儀なくされました。この事故は肉体的にも精神的にも私の人生を変えてしまった大きな出来事でした。
後から分かったことなのですが、人の運動神経、運動能力は4~6歳頃の活動状況、運動状況によって形成されるという事でした。なので気が付くとボールを投げても遠くへ飛ばないし…走っても誰より遅いし…。小学校に入学してから自分の運動神経、運動能力の低さに愕然としました。両親はともに運動神経が良く、走っても早かったという話を聞いていました。
その影響か兄は運動神経抜群で何をやらせても上手くこなしていました。運動会で競争すると誰よりも早く、ぶっちぎりで1着になっていました。同じ兄弟でなぜこんなにも違うのか不思議でした。
右足の骨折が治った5歳頃、兄は以前より私を外に連れ出そうとしました。実家は保育所だったので園庭の木に登らせたりブランコに乗せたりしました。そんな時にはきまって同居していた親戚のおばちゃんがとんできて「基司ちゃんは足の骨を折っているから無理させたらあかん。」と止めにはいりました。兄は「折れた場所は前より強くなっているから大丈夫や。」と言っていましたが、横で聞いていたわたしは段々引っ込み思案になっていきました。飛んだり走ったりしなくなったことが結果、運動神経の発達を遅らせたように思います。
元々、本を読むのが好きだったので小学校に上がる前に、ひらがな、かたかな、ローマ字、簡単な漢字は読み書き出来ていました。小学校の成績はいつもオール5…体育だけが3でした。
中学は神大附属中学に行きました。田舎の公立小学校でトップでも入るのは難関で2年間、家庭教師につきました。そのかいあって、なんとか入れたのですが、そのあとがたいへんでした。
1学年130人中120番の成績でした。小学校でトップの成績だったのが一気に最下位になったのはショックでした。当時、身長も低く痩せていたので…ひ弱そうに見えていたと思います。
体育でバレーボールの授業がありました。サーブを打ってもどこへ飛ぶかわからないし…そもそも敵陣コートまで届かない。レシーブをオーバーハンドで受けると突き指するし、手首でうけるとあざが出来、内出血していました。同級生の女の子が苦も無くこなしているのを見ると自分が情けなかったです。
ただ、中学、高校と体育の先生には恵まれていて…すごく情熱をもって指導してくれたおかげで少しずつ運動にも自信が出来てきました。「お前なら絶対できる。できないはずがない。」と熱く指導してくれたおかげで、かなり高い跳び箱もクリアでき自信になっていきました。高校になると身長も174cmになり、体力がついてきました。中学の時、あれほど苦しんだバレーボールも想像以上にうまくこなせたのは嬉しかったです。サーブは思ったところへ飛ぶし、突き指も内出血もありませんでした。
② 次の転機は中3でお世話になった家庭教師の先生です。運動の方は体の成長やスポーツに取り組むことで徐々に回復していきましたが勉強はそうはいきませんでした。このままでは志望高校にいけない…ということでお願いした先生が優秀で…4月~指導を受けて半年後には120人中60番くらいまで盛り返し志望高校に行けましたが…今回はここまで。
溝口豊
まずは、中学時代の部活をリタイヤした事です。
他にしたい事があり、土日は部活を休む事が多く、その分平日にランニング時間が増え陸上部のようになってしまいました。
高校では運動部に入りたいと考えていましたが、色んな部活で中学生時代からやっている子にはかなわないと思い、弓道部か馬術部を選択した事により今に繋がっています。
本宮範子
そこそこ長く生きているので、転機はたくさんあります(笑)が、すべての転機は自分の選択なので後悔はありません。
今思えば、一番最初に馬に関わることになった分岐点が一番大きな転機だったのかなと思います。
馬と関わることがなければ、全く違う人生で全く違う人格になっていたのでは(笑)
以前恩師から「天職だね」って言われたことがあります。
馬と一緒にいる人生は、きっと運命なのでしょう(^^♪
岩島清志
私の人生は転機だらけなので、これが一番という転機は思いつきませんが、まわりも予想できなかった転機は、技術屋から馬屋になったことが一番のサプライズかもです。全く馬に乗っていなかった人間が1年と3か月で馬屋になっていました。
下の写真はザ・昭和感満載のフィルム写真です。まだデジカメは無かったな。(笑)
仕事が撮影禁止の場所が多かったので、あまり写真残っていないんですが、この時は、民間のヘリだったので、記念に撮ってもらいました。
馬の写真の方は馬に乗って3年目ぐらいの時の写真ですね。障害飛んでいたんです(笑)
菊澤大助
コレ!というものをあげるとすれば家内と出逢ったことでしょう。
モノクロの人生を歩んでいましたが、そこからが総天然色です。
アメリカ、オーストラリアと、3人で大冒険をしました。一人よりずっと楽しかった!
日本に帰国後は娘の大冒険を二人で応援しました。
目に入れても痛くないという言葉が解りました。
子供の頃不安で怖れていた50歳という年齢をこえた今も、全てうまく行っています。
性格の悪さから全くモテず、むしろ嫌われものだった高校までの自分に知らせてあげたいです。
三木翔一朗
転機はたくさんあります。
馬に関していうと、
・本格的に乗馬を始めた14歳
絶対に障害を飛ぶ馬に出会ったことで全日本ジュニアに行き、単なる習い事から本格的に習い始めました。
・馬場を始めた15歳
障害を飛んでいた馬がケガで1年の休馬となり、その時に馬場の選手でもあった薫さんと馬場馬のランシアーノがいたので馬場馬術を始めました。
・馬術部に行った18歳
それまでは誰かに頼りながら乗っていましたが、大学馬術部に入ったことで自分の責任で馬を乗ることを学びました。
・小畑隆一さんの元へ行った23歳
当時、ベルギーにいた元オリンピック選手の小畑さんの元で3年間と馬術を学びました。ちなみにその時にビナーと出会いました。
私の場合は恵まれた環境があったので馬に関しての転機が多くありすぎるので、省いている部分も多々ありますが・・・
小出謙介
私の人生での転機は幾つかありますが、最も大きかったのは「馬を職業にしたこと」です。
現在の職業についてなければ本当にろくでもない人間になっていたんじゃないかな?と思えるほど馬には感謝してもしきれないほど助けてもらっています。その次の転機は名馬「明柊」と馬場馬術選手「北原広之さん」との出会いです。「明柊」には本当に多くの事を学ばせてもらい、明柊を通じて北原さんにも出会えました。さらに北原さんを通じて様々な人との出会いも生まれましたので、馬と人には本当に恵まれている人生です。
中尾 麻美
人生の転機は大きなものから小さなものまでいくつかあると思うのですが、比較的大きなものでいえば18歳から14年間務めた会社をあっさり辞めたことです。
当時はバリバリの事務職で、スカート履いてヒールで電車通勤していました。今とは真逆な感じですね。
その後数か所のアルバイトを経て、明石乗馬協会にたどり着くのですが、乗馬クラブでアルバイトをしているという事をかつての上司に話したとき、「中尾、長靴はいて馬と歩きまわってるんか…めっちゃ似合うな!」と言われました。
それから数年が経ちますが、いくら給料が良くて休みが多い仕事が他にあっても今の仕事は辞められんなあと思う自分がいます。
この先また転機が訪れるかもしれませんが、今はこの生活が楽しいしありがたいです。
清水綾菜
地元の愛知では音楽や服飾、バーテンなどいろんな仕事を同時にやっていました。忙しくスケジュールをビッシリにするのが好きでしたし、分単位であちこち動き回って沢山の人と会って話すのが好きでした。
名古屋から大阪に引っ越してからは、朝から晩まで馬の仕事一本で過ごすようになりました。明石に来た今でもスケジュールビッシリが好きなのは変わりませんが、一日中同じところに滞在するようになったのはここ数年の話。
転機というか、ただの変化ストーリーなのですが落ち着いたなぁと思うこの頃です。
長谷川千紘
人生の転機…
高校を農業高校にした事ですかね!
ほんっとうに進路希望の締切ギリギリで県農に変更しました。
それまでは普通に家から近い普通科の高校に通う予定で願書も用意していました。
県農に行っていなかったら動物関係の仕事にもしかしたらついていなかったかもしれません。と、考えると転機なんですかね〜?
農業高校にして良かったと心から思える高校生活でした!!!
宮内隆佑
馬の専門学校に入ったことで今の自分があるので人生の最初の転機はそのタイミングですね。
気づけば乗馬を始めて8年間という期間が過ぎました。
後はアルバイトとして乗馬協会で働き始めたことも人生の転機です。
実は2016年の7月にアルバイトで入ったので今年で6年目になります。
その後三木ホーストレックへ移動し社員になり、また乗馬協会に戻ってきて今に至ります。
次の人生の転機はどんなタイミングなのか、、不安と楽しみでいっぱいです。
内藤久美子
ちょこちょこと波があったので、転機と言えるかどうかは微妙ですが、一度離れた馬の世界へ戻ってくるのに、
大きな転機とも言えそうな出来事はありました。(内容は絶対に誰にも言えません。)
その出来事を契機に、再び馬に乗れる環境が揃い、今に至ります。
あの時のことがなければ、もうきっと馬には関わることはなかったかも。。
大里あかり
私の人生の転機は、高校の馬術部で1頭の馬と出会ったとこです。
サラブレッドなのですが、120cmは余裕で飛んでしまうスーパーホースでした。
初めてこの馬で100cmを飛び、障害の楽しさを学びました。それからですかね、試合や練習に熱心になったのは。
この日を境に絶対死ぬまで乗馬をやると決めました。