初駈歩の想い出
三木基司
「初駈歩の想い出」は前にもここで書いた記憶があります。
幼少から何回か馬に乗ったことはありましたが、常歩で歩く程度でした。馬装も手入れもできませんでした。用意してもらった馬に乗り小さな角馬場で30分位歩いて終わりでした。
それでも父や兄が乗る姿を見て、駈歩や軽速歩の乗るイメージは何となくできていました。特に我々の世代は1960年頃、テレビで西部劇全盛だったので馬に乗るイメージは今の人達よりあったかもしれません。
中学生の時、父に西脇乗馬クラブ(今はもうありません。)へ連れて行ってもらいました。そこでポニーに乗ることになりました。ペガサスを少し細くした感じの栗毛ですが、すごく乗りやすく…あっという間に速歩、軽速歩をしていました。今までイメージの世界でしかなかった軽速歩が、まがいなりにも出来たことが嬉しかったことを覚えています。なので私の速歩までの習得は、ほぼ見様見真似…独学と言っても過言ではありません。いわゆる我流です。
高校2年の秋ごろ(1972年)父に兵庫県竜野市にある山陽乗馬センターに連れて行ってもらいました。そこで初めて父と田舎道を外乗することになりました。小高い丘を登っていくのですが、途中で小さなこぶ状の坂がありました。父からは馬のタテガミを手綱といっしょにしっかり握って坂に向けるようアドバイスを受けました。
坂に向けると馬は勝手に駈歩歩様で乗り越えていきました。乗り越えるとまたすぐ常歩に戻ります。坂を見せると勝手にやる気になって走る馬が面白かったです。
外乗の途中で何回かコブを駈歩で乗り越えていくうちに、まがいなりにも駈歩が何となく出来ていました。➡これが「初駈歩の想い出」です。
2人きりで行った外乗で父がやさしく暖かく引率してくれたおかげで、駈歩を初めて経験したのですが続きがあります。
その外乗の途中で原っぱに出てくるのですが、そこにはドラム缶が4本、横に並べてありました。すると父は、そのドラム缶を通過するよう言ってきたのです。ようやくさっき駈歩を体験したばかりなのに、大丈夫かなと思いましたが、父は「駈歩の1歩が少し伸びる感じ。」という簡単なアドバイスだけで眺めていました。
勝手に駈歩になった馬には乗って行けていましたが、自分で駈歩発進などできない私は速歩でドラム缶に向かいました。馬はドラム缶が視界にはいると勝手にやる気に
なって走り出すのです。それであっという間に、飛び越えていました。ドラム缶の15m位、手前になると勝手に駈歩になり加速していく加速感がたまらなく面白く、何回も繰り返し飛んでいました。
まあ飛ぶというより、父が言うように駈歩が1歩、大きく伸びる感じでした。
いつまでもやっている私に呆れた父は「もう帰るぞ。」と一言。その言葉に我に返ったわたしは、父の後ろから山陽乗馬センターへと帰っていきました。
①外乗 ②小さな坂を登る ③駈歩を体験する ④ドラム缶を飛び超える …と1日で4つの新しいことを体験したわたしは充実した1日を過ごしました。
ただ今から思うと、初心者の私を乗せて何回もドラム缶を飛んでくれた馬には申し訳なく思っています。もう感謝しかありません。とてもおとなしく、律儀で健気な馬でした。
来世であったらお礼を言いたいと思います。鹿毛馬だった記憶はありますが、悲しいかな初心者だったので、馬の名前は知りません。ちょっと残念。
千古七瀬
明石乗馬協会で馬を習い始めましたから、おそらく小学校の4年生か5年生の時ぐらいに「ブッキー」という名前のポニーで調馬索ロープをつけて丸馬場で初駆歩した記憶があります。
先生は海江田(かいえだ)先生という先生でした。古参の会員さんはブッキーも海江田先生もご存知かも知れません。
その当時のポニーはこの「ブッキー」というポニーと「ピンク」という道産子ポニー、2頭がジュニアレッスンの主流だったように記憶しています。「ピンク」は今の「お雪」ちゃんにそっくりです。色もそのままです。大きさはもうちょっと大きかったように思いますが、それは私が小さかったからかもしれません。「ブッキー」はどの種類のポニーなのか今の私の知識でも分からない強烈な外観?のポニーでした。毛色のベースは白毛?でちょっと斑模様があった気がします。白毛なので、肌がピンクで目が「魚目(さめ)」(青い目)でした。タテガミの毛量も半端ない多さでした。強烈な外観とは裏腹に乗り心地はすごくよくて、障害もけっこう飛べる馬だったように思います。ブッキーについては所長や薫先生の方が詳しいと思います。乗り心地の良いブッキーの背中で問題なく初駆歩を体験し、先生に「上手い!上手い!」と言われた記憶があります。
「ピンク」の方は良い意味でも悪い意味でも頭がすごくよくて、馬場柵に寄っていって馬場柵と馬体で人の脚を挟み付ける技をもっていたりしていました。
長くこの仕事をしていて、ペガサスなど個性的なポニーに色々と出会えましたが、ブッキーを超える外観のポニーにはまだ出会えていません。
実家に帰ってブッキーの写真がないか、探したくなりました。
溝口豊
初駈歩の思い出は、あまり覚えていませんがおそらく、調馬索につながれてだったと思います。
駈歩に至るまでの練習は、常歩は引馬で、速歩からは調馬索につながれ鐙上げの速歩、落ちる事もあったような、そこから鐙を付けてヘルパーをもって駈歩でした。
学校には当時3頭の馬がいて1頭は休馬していたので、残る2頭のどちらかで行いました。
単独の速歩練習は、一人で馬が操作できて楽しかった思い出があります。
本宮範子
最初にお題を聞いた時は??初駈歩?記憶がない!と思ったんですが、よく考えたらなぜ記憶がないのか思い出しました。
私の馬ライフは、毛布に軽乗鞍での調馬索からはじまりました。
3か月くらいは毎日毎日ただそれだけでした。
馬は下でなんか揺れてはいましたが、やれ片手を離せだの両手を離せだの、後ろ向けだの馬の上に立つだの、ただ馬の上で色んな動きをするのに必死。なので、下で馬が速歩をしているのか駈歩をしているのか?
そんなことは分からない状態が長くあったのだと思います。
で、結果いつ初駈歩だったのか?がイマイチはっきりしないです(笑)
岩島清志
はじめての駈歩は鮮明に覚えています。
馬の名前も覚えています。
今もこの馬以上の駈歩の名馬には出会えていません。
会員の時に乗ったその馬が、1年後私の担当になりました。
菊澤大助
ウェスタンスタイルから乗馬を始めたので、駈歩を初日に体験しています。
当時の日本のウェスタンスタイルは軽速歩はしない!というポリシー?でお尻がはねまくっていたため正直「速歩よりも駈歩の方が楽」という感想です。30年以上も前の話です。
三木翔一朗
全く覚えていません・・・
ポニーだったとは思いますが、馬が誰だったのかは忘れてしまいました。
その時から礼奈はいましたが、今と変わらず気難しい馬だったので、その当時に初駈歩には使っていなかったような気がします。
馬の初〇〇は昔過ぎて全て忘れている今年32歳になる自分です・・・
小出謙介
初めて駈歩したのはもう30年前になります。その時のことは、今でも鮮明に覚えています。
以前にも書きましたが、私は自他共に認める、いわゆる「運動音痴」ってヤツで、常歩、軽速歩が出来るようになるまで毎日1鞍乗っても半年かかりました…。その間落馬したのは数えきれないほどで、駈歩なんて出来るようになるんだろうか?と半ば諦めていました。それでも先輩から「乗れ、乗れ」と言われ嫌々ながら乗っていたある日、いつものように軽速歩していた時に、自分も馬も調子が良かったので、調子に乗ってスピードをあげてみたらいつもとは違う反動が伝わってきました。でもあまり気にせず乗り続け、ふと馬場の鏡を見たら駈歩になっていました(笑)
それまで一度も駈歩発進や、随伴について教わった事は無かったのですが、普段から人の乗り方を見ていたらいつの間にか体に刷り込まれているんだなと実感しました。なので会員の皆様、イメージトレーニングはとても大切ですよ!!
中尾 麻美
私の初駈歩は、初めて馬に乗った北海道の外乗ででした。
家族旅行で北海道へ行ったのですが私以外はゴルフへ行き、雨だったため外乗先にも他のお客さんはおらず私1人だけ…。
道産子のみかんちゃんに乗せてもらい、最後に馬場に戻って来た時に「1人だけだし駈歩やってみましょうか!」と言われ「(ウエスタン鞍の)ホーンにしっかり捕まっておいて下さいねー。」で駈歩スタート。
前後にめっちゃ揺れる―、速いーと当時は思いました。カッパに長靴でびしょ濡れになりながらの初騎乗でしたが、楽しかったし馬に乗ってみたかったのでとても嬉しかったです。
ちなみに明石乗馬協会での初駈歩は礼奈さんでした。
数年後にまさか担当になるとはお互い思わなかったねぇ…。
清水綾菜
初駈歩は、そんなつもりもなく駈歩出ちゃった馬に訳もわからずキャッキャ言って乗っていただけだったので、もうよくわかりません。
ちゃんと乗馬を勉強し始めてからは、ARAでいう礼奈のような、気に入らないと後ろにさがる馬で駈歩をよく練習していたのですが、バランスが間違っていると駈歩が出ない!止まる!さがる!せっかく駈歩が出せても、自分のフォームを確認しようと鏡を見たら速歩になる!そして止まる!さがる!キー!!!
何故鏡を見た事がバレるんだ!!と叫びながら乗っていた事を思い出しました。駈歩中に鏡前で自分のフォームを確認できるようになるまでに数ヶ月かかった気がします。
長谷川千紘
初駈歩はおそらく礼奈だったと思います!
私はここに来てから馬に乗り始めたので駈歩も明石の馬にお世話になりました😊
最初は必死に掴まって乗っていたのであれ?駈歩?出てる?みたいな感じだった覚えがあります(笑)
最初の2回くらいは礼奈さんに駈歩の練習に付き合ってもらっていました!
その後は明鈴歌ちゃんにずっとお世話になっていました。
毎日貴重な体験をさせてくれる馬たちには本当に感謝しています。
宮内隆佑
初駈歩の思い出は「覚えてない」です。
学生時代は「とにかく馬を動かしなさい」と教えられていたので、なにもかも力づくで馬を動かしていました。
そんな感じだったので、駈歩もがむしゃらに発進、がむしゃらに動かし続ける結果、全く覚えていません!
いつの間にか走っていた、そんな感じです。
ただ速歩の思い出は覚えています。
馬の上で立ったり座ったり、、「そんなの出来るわけないだろう!!」と思っていましたが、不思議と出来るようになるものですよねー
内藤 久美子
遠い昔の記憶なので、はっきりとは憶えていませんが…(^^;
私の乗っていた所では、丸馬場と角馬場がそれぞれ別にあり、レベルに合わせて分かれ、部班をしていました。おぼろ気な記憶では、調馬策等はされず、【とにかく、前の馬についていけ!】的な雰囲気だった気がします😂
最初は扶助もわからず、『(号令)歩度を詰めー、駈歩進めー』『え❓️(;・ω・)駈歩ってどうやったら出せんの?(^_^;)』と焦りながら必死に足掻いたのが私の初駈歩の思い出です…(^^;