心に残る馬の想い出

三木基司

「心に残る馬の想い出」…人生の大半(46年)馬と関わってきたので多くの馬の記憶がありますが…しいて上げるなら「浜の王者」「舞剣」「ビアンカ」「陽峰」でしょうか?
浜の王者は1977年秋に栗東、伊藤厩舎から譲り受けた馬です。最初、父が調教し80cm位まで飛ぶようになっていました。翌年(1978年1月)、阪神競馬場乗馬センターで開催された兵庫県民新春大会では父が騎乗し新馬障害(80cm)で3位に入賞。この
時の1位はわたしが乗った「ウィンクル号」。因みにウィンクルは薫さんが騎乗して新馬馬場でも優勝。将来性があるスーパーホースでした。このウィンクルは、その後、専修大学馬術部へ行き馬場馬として活躍しています。
浜の王者は、その後1978年6月から則夫理事長が調教するようになり急速に成長。11月、甲南大学馬場で開催された県民親善馬術大会では80cm、1m、120cm、ピュイッサンスと出場し一躍、中障害馬の実力を見せました。ピュイッサンスでは則夫さんが騎乗し1回目の走行で1落がありましたが、まだ5歳。とてつもない将来性を感じました。
翌年1979年3月、琵琶湖乗馬クラブで第1回関西ホースショーがあり私が乗って出場することになりました。当時私の主戦馬は陽統で1977年、青森国体、1978年、長野国体と出場していました。なので当初、父は陽統での出場をすすめました。
ただ実績はありませんがダイヤの原石から輝き出した感のある浜の王者で出てみたくなったのです。則夫さんにも「乗って出てみたい。」というと了承してくれました。
この関西ホースショーは1回でなくなりましたが、当時、関西の乗馬クラブオーナーが力を入れており杉谷昌保さん、クレインの米山さんが来られていました。
選手ではクレイン大阪の中野義弘さん(20歳の大学生)杉谷RC陶器修一さん(15歳の中学生)がいました。この大会で初めて2人に会いましたが両人とも杉谷さんそっくりの乗り方をしていたのを覚えています。
中障害では若手の陶器さん、中野さんの後塵を拝し、6位入賞でしたが最終競技ピュイッサンスで3回目150cmのレンガ障害をクリアしたのは浜の王者だけでした。

溝口豊

今までに思い入れのある馬は、初代山彦です。
生まれが年が同じで、誕生日も近く、競技馬の頃に関西学生・王座決定戦に出場、1落下あり残念ながら4位でした。
その数年後明石乗馬協会に就職し、さらに数年後に会有馬の担当馬として担当。
スタートクラスからホップクラスで活躍、27歳まで現役で活躍しました。 
当時は18歳でもかなりの高齢馬といわれていたので、よく頑張ってくれました。

本宮範子

今までに一番思い入れのある馬は、以前に何度か
ご紹介したサイコ馬だったけど最愛の馬@ザ・パトリックで、これは変わることがないと思います。
なので、学生時代にさかのぼってみます。
もちろん全日本学生まで連れて行ってくれた馬が一番なのかもしれませんが、記憶も感覚も鮮明に残っているのが「ベラクルス」という初めて馬場の競技に出場した馬です。
駈歩発進がヘタクソだと、ボンッ!!と垂直に人を投げ飛ばして「なんやそれ。出直してこい!」と何十回も落馬の日々(^_^;)
競技前日もまだそんな感じのまま当日を迎えました。
成功確率10%くらいだったので、もう落ちる覚悟を決めて迎えた当日。
なんでしょうか…サラっとやってくれちゃって、リボンももらえました。
なんというか、嬉しかった半面、馬の方が格段に上から見てるよね…って悔しくもありました。その後、彼に100%納得してもらえるまで、駈歩発進の練習をさせてもらって、今もその感覚は役立っていると思います!

岩島清志

心に残らなかった馬はいないので、あげたらきりがないです。
良くも悪くも、どの馬もいろいろ苦労し、勉強させて頂きました。

菊澤大助

さて、このお題の答えを考えた時にふと浮かんだのが
「あなたの最高の作品は?」という質問に、「次の作品だ」と答えるパターンです。
というわけで「次に出会う馬」という答えにしようかと一瞬思いましたが、面白みのない答えですので「今関わっている馬達です」と落ち着きました。
ココちゃんは現在14歳。13歳までにグレイトなレベルに仕上げる目標を持っていましたが、1年過ぎてしまい、しかもまだまだグレイトではありません!夏休みの宿題が10月になってもできていなかったことを思い出します。
山彦Ⅱはココちゃんとは逆に会員様の騎乗の間をぬってのトレーニングとなり、忙しい土日は調整のみで平日に頑張ってレベルアップを目指しています。
カンちゃんは末っ子のイメージが取れず、もう5歳になるのでいい加減厳しくしないといけないのですが、トレーニングはあまあまです。時々わがままや勝手をチラッとして見せるあたり、まさに末っ子の甘やかされボンです。
ペガサスは私にとってある種チャレンジだったので、そういう意味で思い入れがあります。自分の「この馬の限界はこの程度」という決めつけてしまう心との闘いで、それをどんどん破ってくれることに感謝しています。特にホースフェスティバルでの1位は舞い上がりました。
プリンちゃんは少々過去に傷がある「トラウマを抱えたタイプ」と判断していて、これをどこまで修正してやれるかの挑戦を続けています。最近ジュニアレッスンへの道筋が見え始め張り切っています。
そして墨丸くん。良い馬なのに私以外が乗るといろいろとトラブルを起こしてくれています。なにが気に入らん?を、暗闇を手探りで探しています。
皆思い入れのある大事な馬です。

三木翔一朗

思い出に残っている馬はたくさんいますね。
順番は決めれないですが、ビナー…ベルギーで苦楽を共に過ごして一緒に日本に来た馬で、今の私の馬術のベースです。
ラシーン…高校生から今までの長い付き合いで、外馬とはどんな馬なのかを教えてくれた馬です。
礼奈…私が明石で乗り始めた時からついこの間まで明石にいた馬です。
ランシアーノ…私に馬場を教えてくれたオーストラリアの馬で、いつも怒った顔しか記憶にないです。
グリュックスグラフ…国体の馬で、国体が終わった後に乗せてもらってました。すごいポテンシャルの馬でしたが、同時にとても気難しい性格でした。
月峰…私が大学馬術だった時に担当した小さな葦毛の馬で130㎝から総合馬術まで活躍させてもらえた馬です。
ビアンカ…基司所長といえばこの国産の小柄な葦毛の馬で、すごき気難しくて所長しか完璧に乗れていませんでした。
コルトンブルー…私が本格的に乗馬をするきっかけになった馬で、絶対に障害を飛ぶスーパーホースで額のハートマークが特徴的にでした。
エパイス…昔の明石乗馬協会にいた馬で尾花栗毛の綺麗な馬でした。
ゲリュロン…エパイスと同じ時期に入厩したポニーでお利口で乗りやすかったです。
他にもいますが、とりあえずこんなもんで・・・

小出謙介

私にとって思い出の馬は沢山いますが、強いて上げるとするならば「チェリーブラウン」でしょうか。
内国産の乗用馬でありながら最後は130㎝クラスの競技会で優勝させてくれた名馬です。
私と共に100㎝クラスから130㎝クラスまで共に歩んだ一生忘れる事のない大好きな馬です。
オーナー様にも応援して頂き、とても貴重な経験をさせて頂きました。また生まれ変わっても巡り合いたいです。、

中尾 麻美

思い出深い馬はやっぱり礼奈でしょう!
色々とクセ強すぎです。
担当になる前から基司所長のスタートクラスではよく乗せてもらっていました。
もちろん後退されたり跳ねられたりした事も多々あります。
でも乗り心地は抜群に良く、スイッチが入った時の反応の良さや前向きな姿は忘れられません。
あとは性格!素直でワガママもするけど、結局憎めない愛嬌のあるキャラでした。
これからも1日1日自分にできる事を精一杯やりながら、馬たちと過ごせる限りある時間を大切にしたいと思います。

清水綾菜

・・・

長谷川千紘

今までで思い入れのある馬、関わってきた馬の中で思い入れのない馬はいないのですが強いて言うと皆様ご存知の【歩智】ですかねぇ〜
入社してから乗馬初心者の私に手入れの仕方から馬装の仕方、馬の動かし方等を教えてくれました。
初めての担当馬も歩智です。
色々なことを毎日教えてくれる、本当にダンディーなおじい様です。
いつもありがとう☺️

宮内隆佑

思い入れのある馬は「リアライズミナオー」という馬です。
専門学校時代の2年生の時に担当になりましたが、ミナオーは馬房に入ることはおろか近づくだけで人を噛み馬房に引きずり込む馬でした。
私も数回ひきずり込まれました。
基本的には凶暴な馬に対して人は「怖いから怒る」という発想になりがちです。
馬房に近づく時は人間が威嚇しながら近づいたり、、そんな積み重ねでミナオーは悪くなったのだと感じ自分は逆に優しく関わろうと考えました。
それが正しいかは分かりませんが、ミナオーは最終的に自分に対しては全く怒る事はなくなっていました。
自分に対して心を許してくれていると感じた馬は「ミナオー」が最後でした。
なので自分にとっては一番思い入れのある馬です。

内藤久美子

かなり古いですが、ロングシングという馬です。
私が乗馬をやり始めた頃から数年の間、よく割り振られていた馬で、JRAの誘導馬でもありました。
初心者の頃、乗馬のイロハも何もわかっていなかった時からよく乗せてもらっており、とても頭の良い馬でした。(わけわからん扶助でも、まともに動いてくれてました(-_-;))
手元に写真がないのですが、ネットで検索をかけた所、誘導時の写真がまだ掲載されておりました(^^)興味のある方は”ロングシング 1984”と検索してください(笑)
その馬と私を結びつけてくれた恩師の方が先日逝去されてしまったんですが、その方の思い出と共に、一生忘れることはない馬です。。

大里あかり

私の思い出のある馬は「キャンディ」という栗毛の馬です!私が乗馬を始めて、初めて障害を飛んだのがこの子でした。元々は仙台に居たのですが、震災で流され奇跡的に生き残り、めぐる巡って私のいた乗馬クラブにやってきました!初落馬もこの子だったかな?(笑)色んな初めてが詰まった思い出の馬です。
ネットで「キャンディ 仙台」と調べれば出てくると思います!興味があればぜひ調べてください!

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